神奈川県横浜市と福岡県古賀市の二拠点で働く小澤成美さん。古賀市出身の小澤さんは、豊かな自然と温かい大人たちに囲まれて幼少期を過ごしたそうです。
今回のインタビューでは、小澤さんが古賀市に戻った理由と、現在の活動について伺いました。
地元古賀から横浜へ、そして再び地元へ戻った小澤さんのキャリア軌跡
-これまで暮らしてきた地域を含め、小澤さんの経歴を教えてください。
古賀市で育ち、九州産業大学工学部 建築学科に進学しました。卒業後、横浜の設計事務所「株式会社オンデザインパートナーズ」に就職。現在は、新築住宅や公共施設、店舗などの設計とインテリアデザインを手がけています。主に図面作成やパース制作に携わっています。
-ちなみに、建築の道に進まれたきっかけがあれば教えてください。
小学生の頃、夏の暑い日に友達と遊んでいると、目の前に長崎材木店のモデルルームがありました。涼しい場所を求めて、つい中に入ってしまったんです(笑)。
当時マンション住まいだった私は一軒家に憧れていたので、モデルルームの室内が輝いて見えました。「自分もこんな家を作ってみたい!」と思ったのが、建築の道に進むきっかけでした。
-小学生からの夢を実現されたのですね!なぜ、横浜市を離れて古賀市に戻ってきたのでしょうか?
元々、関東に就職したのは知識の幅を広げるためで、いつかは地元に戻るつもりでした。就職当初は「地元に帰るのは、会社を辞めて福岡で転職するとき」と考えていましたが、そうこうしているうちにコロナが流行し、会社がリモートワークを推奨するようになりました。
そのおかげで転職せずに地元で仕事ができるようになり、古賀市に帰ってきました。現在は基本的に古賀市で働き、月に数日間は会社に出向いて仕事をしています。
-元々、古賀市に戻る予定だったとのことですが、戻りたい理由は何だったのでしょうか?
建築・設計が好きで就職しているので、いつか地元でまちづくりに携わりたいと思っていました。古賀市は周辺地域に比べて発展していないと言われますが、私は「何でもできるチャンスが古賀市にはある」と感じています。
コロナが落ち着き始めた頃、横浜市で出会った方が古賀市のまちづくりに携わる人と知り合いだったのです。その方はとてもフットワークの軽い方で、同僚を誘って北九州市や古賀市を一緒に旅行しました。私にとっては帰郷のような感覚でしたが、この旅で食の交流拠点「るるるる」の運営者である橋口さんを紹介していただきました。
株式会社ヨンダブルディーの橋口さんと松見さんにまちづくりへの参加を申し出て、古賀市でのイベント運営のため地元に戻りました。さまざまなタイミングが重なり、古賀市への帰郷が実現したという感じです。
-どのようなイベントを運営されているのですか?
こがのばトークといって、古賀市を拠点に活動をされている方々を紹介するイベントです。
2024年は「食」「アート」「スポーツ」をテーマに25名の方に登壇いただき、各自の仕事や今後の展望などを語っていただきました。ちなみに、田辺市長や古賀市役所職員の方も参加されていましたよ。
たくさんの参加者が来場され、熱いプレゼンに皆さん刺激を受けているようでした。そのなかで私は、司会進行を務めさせていただきました。
-古賀市に戻られ、地元での活動もされて、ご両親は喜ばれたでしょう。今は実家で暮らしているのですか?
両親はとても喜んでくれました。ただ、現在は実家の近くで一人暮らしをしています。実家にいると親に何でも頼ってしまい、怠けがちになると思ったんです。地元に戻る際は、きちんと仕事ができる環境を整えないと帰れないと考えていたので、仕事場として西口商店街の空き店舗を借りることにしました。
借りた店舗は築100年ほどの古い建物なんです。大家さんが隣でお店を営んでいて、よく気にかけてくださいます。
築100年の空き店舗を拠点にはじめる地域貢献
-築100年はとても古いですね!
はい、建物内は経年劣化が見られますが、以前この店舗で商売をされていた大家さんの思い入れもあり、取り壊す予定はないそうです。そこで私は、店内の昭和の雰囲気を残しつつ、人々が集える空間に生まれ変わらせたいと考えています。
古賀市は生活に必要な施設が整っており、海や山、広い公園があるなど、子どもたちの遊び場も充実しています。また、行政がまちづくりに力を入れているため、まちの変化を肌で感じられるのも魅力です。
しかし、私は生活環境が整っているだけでなく、人とのつながりがあってこそ住むことが楽しくなると考えています。幸い、古賀市にはコミュニティ形成のためのイベントが多く、参加の機会も豊富です。
そこで、若い方々とのつながりを持ちたいと考え、この築100年の店舗を人々が集えるスペースに改装したいと思っています。
さらに、建築設計の経験を活かして、模型作りのワークショップや学生とのイベント企画なども検討しています。これらの活動を通じて、地域の方々、特に若い世代に建築やまちづくりへの興味を持ってもらえたらうれしいですね。
-それは大家さんも、生まれ変わる店舗を楽しみにしているでしょうね!小澤さんは久しぶりに古賀市に戻られて、以前と変わったと感じる点はありますか?
商店街の景観が変化したことですね。以前は建物が密集していて線路が見えないほどでしたが、古い建物が取り壊されて駐車場になり、線路が見えるようになりました。これが昔と大きく違う点だと感じています。
また、西口商店街に新しい店舗が出店し始めたのも変化の一つです。さらに、古賀駅東口の開発が始まるとのことで、駅周辺が今後変わっていく予感がします。
個人的には、古き良きものを残しつつ、新しいものを取り入れてほしいと思っています。
-ところで、小澤さんは幼少期や学生時代、古賀市でどのように過ごされたのでしょうか?
小学生時代に、「アンビシャス太鼓」という太鼓の習い事をしていました。土曜夜市やまつり古賀などのイベントで演奏を披露していたんです。よく「古賀の人はあたたかい」と聞きますが、本当にその通りで、地域の大人が子どもたちを見守ってくれる雰囲気がありましたね。
他にも、ミニバスケットボール、水泳、ピアノなど、たくさんの習い事をしていました。スイミングスクールは、サンリブ古賀と西口商店街の間にある、ベストスイミングに通っていましたよ。
古賀海岸から近い花鶴が浜公園には、遊具や広いグラウンドがあって、友達とドッジボールやバドミントンをして遊んでいました。サンリブ古賀も小学生が歩いて行ける距離だったので、よく遊びに行っていましたね。
-では、古賀市のお気に入りスポットはありますか?また、古賀市の住み心地を教えてください。
古賀市に戻ってきてまだ3か月ですが、昔を思い出して海沿いを散歩したときに見つけたお店に行ってみようと考えています。
古賀市は海・まち・里・山の4つのエリアに分かれています。私が住んでいるのは古賀駅があるまちのエリアです。特に西口商店街周辺には八百屋や飲食店、商業施設がそろっているので、日常生活はほとんど徒歩で済ませられます。
車があれば薬王寺温泉にも行けるので、小旅行気分も味わえるまちですね。住み心地は本当に良いと感じています。
まとめ
今回、古賀市にUターンし、横浜市と古賀市の二拠点で働く小澤さんにインタビューをさせていただきました。
地元の方ならではの視点で、昔からある施設や場所の名前を交えながらエピソードを語っていただき、読者にもまちの様子が生き生きと伝わったのではないでしょうか。
小澤さんのこれからの活動が非常に楽しみです。お忙しい中、貴重なお話をありがとうございました。